「紅茶の日」、その2。 1797年11月1日、伊勢の商人 大黒屋光太夫が当時のロシアの 女帝エカテリーナ二世に 謁見し、日本人として 初めて西洋式の茶会に招かれ、もてなされた事に由来してい …続きを読む
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「紅茶の日」、その2。 1797年11月1日、伊勢の商人 大黒屋光太夫が当時のロシアの 女帝エカテリーナ二世に 謁見し、日本人として 初めて西洋式の茶会に招かれ、もてなされた事に由来しています。 約10年の想像に絶する苦難の末、光太夫は女王に会い帰国を願い出たのでした。 当時は完全な発酵茶(今の紅茶)ではなく、半発酵の茶葉で今でいうと烏龍茶に近いものでした。 一匙の茶葉、一杯のお茶、…… 壮大な歴史の元に 我々のテーブルに乗っているのですね。
@bonobono54 さん♪ やったぁ♪ 紅茶の歴史ぷちレッスンだぁ✨ 220年前の今日、初めて日本人がお茶会に招かれたと思うと浪漫を感じます。 紅茶も進化して今の茶葉になってるのですね。 ありがとうございます♡
@LOTTA さん、お勉強になりました!浪漫ですね〜(*´꒳`*)
@LOTTA さん☆ 大黒屋光太夫についての小説を 読んで、脚色を差し引いても、 その壮絶さで読み手がトラウマになるほどの つらい内容なんです。 だから、さらっとしか 表現出来ない。 エカテリーナ二世は 光太夫に深く同情し、慰労し、 彼の強い生への意欲や意志を 誉め称えた。とされています。 会えるかどうか不明なのに 仲間や自分の帰国を女王なら 認めてくれるかもしれない、と 極寒のロシアをひたすら2万キロ歩いて首都を目指した光太夫でした。 ヨーロッパはフランス革命直後だったり、イギリスはスペインやオランダと戦を繰返し、 中国から銀を搾取しながら 茶を求めてインド~東南アジアを支配下に置こうとしている時でした。 ロシアサンクトペテルブルクの王宮には中国からの直接輸入の茶とオランダやイギリス経由の輸入茶とがあったと考えられています。 キームンとかラプサンスーチョンとか烏龍茶とか、 癖のあるものが当時の上流階級には喜ばれ、ミルクや貴重な砂糖をたっぷりいれて 飲むのが一般的でした。 私達からしたら、 キームンやラプサンスーチョンにミルクや砂糖をいれるなんて 不味くて論外!ですけど、 お茶の飲み方を知らなかったヨーロッパ人はとにかく他人とは違う味欲しさで、癖のある強いフレーバーの物を求めたらしいです。 ヨーロッパの中でも温帯に属さない国々は 香辛料もなく、砂糖もなく、茶もなく、コーヒーもなく、銀も綿もないので、 武力で奴隷や生産物を強奪して 植民地化することで 国の繁栄を維持したわけです。 こうしてみると イギリスやオランダってけっこうえげつないんですよね。 何も無い土地柄なのに 侵略した先の国民を蔑み、 まるでアングロサクソンが 地球上で一番優れているかのように振る舞うのですから。 居直り強盗みたいな感すらします。(笑) とはいえ、お茶文化はイギリスやロシアに確実に根付き育ちましたから、現在なら旅行も 是非行ってみたいですよね。 感動します。 光太夫ネタから話が大きくなり、申し訳ありませんでした‼ gmngmn.
@kjkt さん☆ ロシアにお詳しいかたに そう仰られると、いつもに輪をかけて面映ゆいです。 茶の歴史は大航海時代~現代までのまさに世界史そのもの!のようでもあります。 奥深いですね。
@bonobono54 さん♪ お恥ずかしながら光太夫について知らなかったのでウィキってみました。 壮絶な人生を歩まれた方なんですね。 侵略や植民地化には日本も含めて、ドン引きというか理解に苦しむところではありますが…。 貴族が他とは違う味を求めてっていう紅茶の飲み方には、想像して笑ってしまいました。 流行の先端を気取りたかったのか、見栄をはりたかったのか、退屈で刺激?を求めてたのか⁉︎笑 お陰様でひとつ賢くなりました。 今日picあげてらしたアンティークのティーカップも本当に素敵で✨ これからも楽しみにしています♡
@bonobono54 さん、大黒屋光太夫さんが壮絶な日々を経て、女王に謁見したことを初めて知りました。大変な世界情勢のなか、女王様と紅茶を飲むことが出来て、光太夫さんも溢れる思いを伝えて願いを叶えてもらえて良かったですね❣今の時代も色々大変だけど、紅茶を飲んでほっこり出来る私達は幸せですよね
「紅茶の日」、その2。 1797年11月1日、伊勢の商人 大黒屋光太夫が当時のロシアの 女帝エカテリーナ二世に 謁見し、日本人として 初めて西洋式の茶会に招かれ、もてなされた事に由来しています。 約10年の想像に絶する苦難の末、光太夫は女王に会い帰国を願い出たのでした。 当時は完全な発酵茶(今の紅茶)ではなく、半発酵の茶葉で今でいうと烏龍茶に近いものでした。 一匙の茶葉、一杯のお茶、…… 壮大な歴史の元に 我々のテーブルに乗っているのですね。
@bonobono54 さん♪ やったぁ♪ 紅茶の歴史ぷちレッスンだぁ✨ 220年前の今日、初めて日本人がお茶会に招かれたと思うと浪漫を感じます。 紅茶も進化して今の茶葉になってるのですね。 ありがとうございます♡
@LOTTA さん、お勉強になりました!浪漫ですね〜(*´꒳`*)
@LOTTA さん☆ 大黒屋光太夫についての小説を 読んで、脚色を差し引いても、 その壮絶さで読み手がトラウマになるほどの つらい内容なんです。 だから、さらっとしか 表現出来ない。 エカテリーナ二世は 光太夫に深く同情し、慰労し、 彼の強い生への意欲や意志を 誉め称えた。とされています。 会えるかどうか不明なのに 仲間や自分の帰国を女王なら 認めてくれるかもしれない、と 極寒のロシアをひたすら2万キロ歩いて首都を目指した光太夫でした。 ヨーロッパはフランス革命直後だったり、イギリスはスペインやオランダと戦を繰返し、 中国から銀を搾取しながら 茶を求めてインド~東南アジアを支配下に置こうとしている時でした。 ロシアサンクトペテルブルクの王宮には中国からの直接輸入の茶とオランダやイギリス経由の輸入茶とがあったと考えられています。 キームンとかラプサンスーチョンとか烏龍茶とか、 癖のあるものが当時の上流階級には喜ばれ、ミルクや貴重な砂糖をたっぷりいれて 飲むのが一般的でした。 私達からしたら、 キームンやラプサンスーチョンにミルクや砂糖をいれるなんて 不味くて論外!ですけど、 お茶の飲み方を知らなかったヨーロッパ人はとにかく他人とは違う味欲しさで、癖のある強いフレーバーの物を求めたらしいです。 ヨーロッパの中でも温帯に属さない国々は 香辛料もなく、砂糖もなく、茶もなく、コーヒーもなく、銀も綿もないので、 武力で奴隷や生産物を強奪して 植民地化することで 国の繁栄を維持したわけです。 こうしてみると イギリスやオランダってけっこうえげつないんですよね。 何も無い土地柄なのに 侵略した先の国民を蔑み、 まるでアングロサクソンが 地球上で一番優れているかのように振る舞うのですから。 居直り強盗みたいな感すらします。(笑) とはいえ、お茶文化はイギリスやロシアに確実に根付き育ちましたから、現在なら旅行も 是非行ってみたいですよね。 感動します。 光太夫ネタから話が大きくなり、申し訳ありませんでした‼ gmngmn.
@kjkt さん☆ ロシアにお詳しいかたに そう仰られると、いつもに輪をかけて面映ゆいです。 茶の歴史は大航海時代~現代までのまさに世界史そのもの!のようでもあります。 奥深いですね。
@bonobono54 さん♪ お恥ずかしながら光太夫について知らなかったのでウィキってみました。 壮絶な人生を歩まれた方なんですね。 侵略や植民地化には日本も含めて、ドン引きというか理解に苦しむところではありますが…。 貴族が他とは違う味を求めてっていう紅茶の飲み方には、想像して笑ってしまいました。 流行の先端を気取りたかったのか、見栄をはりたかったのか、退屈で刺激?を求めてたのか⁉︎笑 お陰様でひとつ賢くなりました。 今日picあげてらしたアンティークのティーカップも本当に素敵で✨ これからも楽しみにしています♡
@bonobono54 さん、大黒屋光太夫さんが壮絶な日々を経て、女王に謁見したことを初めて知りました。大変な世界情勢のなか、女王様と紅茶を飲むことが出来て、光太夫さんも溢れる思いを伝えて願いを叶えてもらえて良かったですね❣今の時代も色々大変だけど、紅茶を飲んでほっこり出来る私達は幸せですよね