何人かいってそうな目付き。
Naoki.の部屋
ピクルスの匂いがする。 いつものように帰りの地下鉄に僕は揺られている。効きすぎた空調に混雑した車内。ヘッドホンからはノラ・ジョーンズの唄う My Blue Heaven が流れてくる。“英会話お試しレッスン”、“自分をさらけ出せる就活”、“もらうと本が読みたくなる”、“さあ世界がときめく東京”、様々な中吊り広告たち。僕はそんな広告を見ながらぐるりと辺りを見渡す。 ピクルス? 加齢臭や、汗や、香水やら何や彼やに混ざって確かにピクルスのあのつんとした酸っぱい匂いが漂っている。誰かハンバーガーでも食べているのであろうか。まさかピクルスをそのままつまんでいるわけでもあるまい。おそらくはそういう体臭を誰かが発しているのだろう。ピクルスのような体臭か、と僕は思った。ピクルス好きにはたまらないかもしれないけれど、ちょっとさすがに気持ち悪い。マスクも忘れたし弱ったなあと思いながら僕は匂いの元を探してみる。 あらかじめ断っておくけど、これはノンフィクションである。実際に起こった出来事を脚色せずそのままお伝えしている。 「はいはい、そんなことあるわけないね」と君は言うかもしれない。 「そんな都合良く次から次へと何かが起きるわけがない」とも。 申し訳ないとは思うけど、それは確かに僕の左斜め前で起こっていた。 瓶詰めのピクルスを黙々と食べる男性がそこには居た。 僕は何が起きているのかを把握するのに少し時間がかかった。まあ、何が起きてるも何も見ての通りなんだけど、猫が突然喋り出したときと同じくらい驚いたのである。驚いたというより、面食らったというべきか(まだ猫が突然喋り出したことはないけど。幸か不幸か)。 さらに、さらにだ、その隣りに座っている連れ合いの女性を見てみると、何とその女性は野菜スティックを食べていた。野菜スティック! きゅうり、人参、あれは……セロリ? 絶え間なくそれらをポリポリしている。きゅうりが終わったら人参、人参が終わったらセロリ、と。 野菜スティックくらい普通電車で食べるだろ、と言われるかもしれない。あるいは言われないかもしれない。しかし、彼女はしっかりキューピーマヨネーズ(通常サイズ)をつけながら食べているのだ。しかも終始無言で。それは僕に、何十年か連れ添った倦怠期もすべて通り越した老夫婦の食卓を連想させた。 誰も何も言わない。誰も気付いていないようにも見える。いや、そんなことあるわけがない。でも、もしかしたらあまりにも堂々とし過ぎていて、車内に溶け込んでいるのかもしれない。くだらないコピーが書いてある中吊り広告のように。 地下トンネルを抜け地上に出た車両はパラパラと窓を打つ雨の中、そんな彼らと僕とその他大勢を埼玉の夜の闇へと今日も運んで行く。 一体どういうつもりなのだろうか。
何人かいってそうな目付き。
ピクルスの匂いがする。 いつものように帰りの地下鉄に僕は揺られている。効きすぎた空調に混雑した車内。ヘッドホンからはノラ・ジョーンズの唄う My Blue Heaven が流れてくる。“英会話お試しレッスン”、“自分をさらけ出せる就活”、“もらうと本が読みたくなる”、“さあ世界がときめく東京”、様々な中吊り広告たち。僕はそんな広告を見ながらぐるりと辺りを見渡す。 ピクルス? 加齢臭や、汗や、香水やら何や彼やに混ざって確かにピクルスのあのつんとした酸っぱい匂いが漂っている。誰かハンバーガーでも食べているのであろうか。まさかピクルスをそのままつまんでいるわけでもあるまい。おそらくはそういう体臭を誰かが発しているのだろう。ピクルスのような体臭か、と僕は思った。ピクルス好きにはたまらないかもしれないけれど、ちょっとさすがに気持ち悪い。マスクも忘れたし弱ったなあと思いながら僕は匂いの元を探してみる。 あらかじめ断っておくけど、これはノンフィクションである。実際に起こった出来事を脚色せずそのままお伝えしている。 「はいはい、そんなことあるわけないね」と君は言うかもしれない。 「そんな都合良く次から次へと何かが起きるわけがない」とも。 申し訳ないとは思うけど、それは確かに僕の左斜め前で起こっていた。 瓶詰めのピクルスを黙々と食べる男性がそこには居た。 僕は何が起きているのかを把握するのに少し時間がかかった。まあ、何が起きてるも何も見ての通りなんだけど、猫が突然喋り出したときと同じくらい驚いたのである。驚いたというより、面食らったというべきか(まだ猫が突然喋り出したことはないけど。幸か不幸か)。 さらに、さらにだ、その隣りに座っている連れ合いの女性を見てみると、何とその女性は野菜スティックを食べていた。野菜スティック! きゅうり、人参、あれは……セロリ? 絶え間なくそれらをポリポリしている。きゅうりが終わったら人参、人参が終わったらセロリ、と。 野菜スティックくらい普通電車で食べるだろ、と言われるかもしれない。あるいは言われないかもしれない。しかし、彼女はしっかりキューピーマヨネーズ(通常サイズ)をつけながら食べているのだ。しかも終始無言で。それは僕に、何十年か連れ添った倦怠期もすべて通り越した老夫婦の食卓を連想させた。 誰も何も言わない。誰も気付いていないようにも見える。いや、そんなことあるわけがない。でも、もしかしたらあまりにも堂々とし過ぎていて、車内に溶け込んでいるのかもしれない。くだらないコピーが書いてある中吊り広告のように。 地下トンネルを抜け地上に出た車両はパラパラと窓を打つ雨の中、そんな彼らと僕とその他大勢を埼玉の夜の闇へと今日も運んで行く。 一体どういうつもりなのだろうか。