セカンドシーズンと言えるかな。 久しぶりの新作です。
Naoki.の部屋
「ぽけっとに黒猫を」 前編 ぽけっとのなかには びすけっとがひとつ ぽけっとをたたくと びすけっとはふたつ 朔太郎はふんふん、と窓から外を見下ろしながら何やら歌を唄っていた。おそらく歌だと思う。メロディラインに歌詞をのせて連続的に声を発するのが歌の定義というのなら、彼は間違いなく歌を唄っていた。 歌か、と僕は思った。そしてソファに腰を下ろし、たばこに火をつけながらそれをしばらく眺めた。眺めながら腕を組み、腕を組んではほどきを繰り返した。それというのも何とコメントすべきか迷ったからだ。コメントして良いかどうかもわからない。 猫との生活は新しい発見の連続である、と猫好きで有名なある漫画家がコラムに書いていた。それにはもちろん異論はない、というより、僕ぐらいの猫好きには、何をいまさらと思われるぐらい当たり前の事実である。しかし、そうは言ってもそんな僕にとってさえ童謡を唄う猫を見るのは、かなりシュールレアリスティックな体験だった。アンドレ・ブルトンにもそんなことは予想出来なかっただろう。 「朔ちゃんさ、ビスケットって好きだったっけ?」と僕は訊いてみた。 「なんですか、それ? おいしいですか?」 朔太郎はこちらを振り向き、少しばかり首を右に傾け、きょとんとした顔で言った。 「……今唄いよったやん」 理不尽な返しに思わず地元の言葉が出てしまう。都会っ子っぽい見た目が僕の売りなのだけど。「食べ物だよ、もちろん。味は……まあ美味しいよ」 「ええ! びすけっとって、食べ物だったんですか!? でも……ぼくにくれたことってありましたっけ?」 「(何だと思ってたんだ)いや、一般的に猫が食べる物じゃないからねぇ。朔ちゃんにはあげたことないかな(見せたことはあるかな)、それに、君の口には合わないと思うよ。やたら甘かったりするしさ。うん、あと身体にも悪い」 飼い主としての親切心で言ったつもりだったのだが、朔太郎は疑わしげに眼を細めた。まるで何度拭いても取れない内側なのか外側なのかも分からない窓ガラスの汚れを見るような眼だった。 「あなたみたいにふだん好き嫌いばかり言ってる人は、すぐそうやってあれはダメこれはダメって食べる物にケチをつけるからいけないと思うのです! ねこだからって、カリカリさえ出してれば文句はないだろう、みたいなあつかいを受けるのは納得できません!(でもカリカリは好きです) ねこは好奇心で出来てるのです! あと好奇心はねこでできてるのです(?)! 〝たいぐうのかいぜん〟を要求します!」 朔太郎は混乱しながらも一息でそう言って、ちらっとミシェルの方を見た。もしかしたらミシェルからの受け売りなのかもしれない。まあ、いつも通りである。そしていつも通り面倒だ。ミシェルはというと、聞いているのかいないのか箱座りのまま目を閉じて窓際の陽だまりの中に佇んでいた。 「わかったわかった。今度買ってくるよ。今度」と僕は言った。言うしかない。買ってきたところで、どうせ匂いだけ嗅いで見向きもしなくなるに決まっているが、この意味不明な一連の流れを聞かされるよりはるかに楽だった(買わないけど)。 「――何を買ってくるって?」 ほのかな香水の香りと共に彼女が顔を近づけてきた。出勤前の、シャンプーとコーヒーの香りにブレンドされたこの香りが僕は好きだ。 「うん、朔ちゃんにビスケットをね」 「ビスケットぉ? 朔ちゃんに?」と彼女は怪訝な顔をした。「あれだけわたしに〝猫に人間の食べ物与えちゃダメ〟って言ってたのに! ずるい! バカ!」 バカ? ……朝から説教されたりバカにされたりと、我が家での僕の立場はかくのごとしである。 「朔ちゃん、ビスケット何かじゃなくて私がいつものチーズ買ってきてあげるからね〜」 彼女はそう言いながら、朔太郎のほっぺたをぐにぐにとつまんでコネまくる。 「ううう、あれって見た目以上にあぶらっこくて、けっこうおなかにもたれるのです」 柔らかな頬肉をもてあそばれながら、朔太郎は彼女に主張する。 「でもね、朔ちゃん。おいしいからってあんまり食べ過ぎて肥っちゃダメだからね」 「いや、だから、もたれるからたくさん食べられないのです」 「こないだあげた時なんか、お代わりまで要求してたもんね~?」 「あれはその前の日にごはんくれなかったからです!」 「あっ、もう8時? 今日朝イチミーティングなのに遅れちゃう! いってきまーす」 「……うう、チーズはもういやです……」 ドタバタと出ていく彼女の後姿を見送りながら、朔太郎は、はあ、とため息をつき僕を見つめる。僕もそれを見ながら、はあ、とため息をつく。ごはんはもちろん忘れずにあげている。あげているにもかかわらず、〝自分が食べたい物じゃないから食べた数にカウントにしていない〟ことが問題なのだ。 「……朔ちゃん、責任をすり替えてもダメなもんはダメだよ」と僕は彼の視線は無視して、テーブルの上の食器を片づけはじめた。
セカンドシーズンと言えるかな。 久しぶりの新作です。
「ぽけっとに黒猫を」 前編 ぽけっとのなかには びすけっとがひとつ ぽけっとをたたくと びすけっとはふたつ 朔太郎はふんふん、と窓から外を見下ろしながら何やら歌を唄っていた。おそらく歌だと思う。メロディラインに歌詞をのせて連続的に声を発するのが歌の定義というのなら、彼は間違いなく歌を唄っていた。 歌か、と僕は思った。そしてソファに腰を下ろし、たばこに火をつけながらそれをしばらく眺めた。眺めながら腕を組み、腕を組んではほどきを繰り返した。それというのも何とコメントすべきか迷ったからだ。コメントして良いかどうかもわからない。 猫との生活は新しい発見の連続である、と猫好きで有名なある漫画家がコラムに書いていた。それにはもちろん異論はない、というより、僕ぐらいの猫好きには、何をいまさらと思われるぐらい当たり前の事実である。しかし、そうは言ってもそんな僕にとってさえ童謡を唄う猫を見るのは、かなりシュールレアリスティックな体験だった。アンドレ・ブルトンにもそんなことは予想出来なかっただろう。 「朔ちゃんさ、ビスケットって好きだったっけ?」と僕は訊いてみた。 「なんですか、それ? おいしいですか?」 朔太郎はこちらを振り向き、少しばかり首を右に傾け、きょとんとした顔で言った。 「……今唄いよったやん」 理不尽な返しに思わず地元の言葉が出てしまう。都会っ子っぽい見た目が僕の売りなのだけど。「食べ物だよ、もちろん。味は……まあ美味しいよ」 「ええ! びすけっとって、食べ物だったんですか!? でも……ぼくにくれたことってありましたっけ?」 「(何だと思ってたんだ)いや、一般的に猫が食べる物じゃないからねぇ。朔ちゃんにはあげたことないかな(見せたことはあるかな)、それに、君の口には合わないと思うよ。やたら甘かったりするしさ。うん、あと身体にも悪い」 飼い主としての親切心で言ったつもりだったのだが、朔太郎は疑わしげに眼を細めた。まるで何度拭いても取れない内側なのか外側なのかも分からない窓ガラスの汚れを見るような眼だった。 「あなたみたいにふだん好き嫌いばかり言ってる人は、すぐそうやってあれはダメこれはダメって食べる物にケチをつけるからいけないと思うのです! ねこだからって、カリカリさえ出してれば文句はないだろう、みたいなあつかいを受けるのは納得できません!(でもカリカリは好きです) ねこは好奇心で出来てるのです! あと好奇心はねこでできてるのです(?)! 〝たいぐうのかいぜん〟を要求します!」 朔太郎は混乱しながらも一息でそう言って、ちらっとミシェルの方を見た。もしかしたらミシェルからの受け売りなのかもしれない。まあ、いつも通りである。そしていつも通り面倒だ。ミシェルはというと、聞いているのかいないのか箱座りのまま目を閉じて窓際の陽だまりの中に佇んでいた。 「わかったわかった。今度買ってくるよ。今度」と僕は言った。言うしかない。買ってきたところで、どうせ匂いだけ嗅いで見向きもしなくなるに決まっているが、この意味不明な一連の流れを聞かされるよりはるかに楽だった(買わないけど)。 「――何を買ってくるって?」 ほのかな香水の香りと共に彼女が顔を近づけてきた。出勤前の、シャンプーとコーヒーの香りにブレンドされたこの香りが僕は好きだ。 「うん、朔ちゃんにビスケットをね」 「ビスケットぉ? 朔ちゃんに?」と彼女は怪訝な顔をした。「あれだけわたしに〝猫に人間の食べ物与えちゃダメ〟って言ってたのに! ずるい! バカ!」 バカ? ……朝から説教されたりバカにされたりと、我が家での僕の立場はかくのごとしである。 「朔ちゃん、ビスケット何かじゃなくて私がいつものチーズ買ってきてあげるからね〜」 彼女はそう言いながら、朔太郎のほっぺたをぐにぐにとつまんでコネまくる。 「ううう、あれって見た目以上にあぶらっこくて、けっこうおなかにもたれるのです」 柔らかな頬肉をもてあそばれながら、朔太郎は彼女に主張する。 「でもね、朔ちゃん。おいしいからってあんまり食べ過ぎて肥っちゃダメだからね」 「いや、だから、もたれるからたくさん食べられないのです」 「こないだあげた時なんか、お代わりまで要求してたもんね~?」 「あれはその前の日にごはんくれなかったからです!」 「あっ、もう8時? 今日朝イチミーティングなのに遅れちゃう! いってきまーす」 「……うう、チーズはもういやです……」 ドタバタと出ていく彼女の後姿を見送りながら、朔太郎は、はあ、とため息をつき僕を見つめる。僕もそれを見ながら、はあ、とため息をつく。ごはんはもちろん忘れずにあげている。あげているにもかかわらず、〝自分が食べたい物じゃないから食べた数にカウントにしていない〟ことが問題なのだ。 「……朔ちゃん、責任をすり替えてもダメなもんはダメだよ」と僕は彼の視線は無視して、テーブルの上の食器を片づけはじめた。