雨、がテーマ
Naoki.の部屋
14『お月様の月への手紙』 拝啓 そのとき僕は仕事の仕上げに取り掛かったところでした。何気なくブラインド越しに窓の外を眺めてみると、不穏な色の雲が東陽の街を包み込み、ビルというビルの上からダークグレーの絵の具を満遍なく降り注いだように、街全体が灰色に染まっていました。そして、パラパラという音がしたかと思うと、その次の瞬間ザアァという音と共に物凄い雨が窓を打ち、気がつくととっくに就業時間は過ぎておりました。そう、しばらくの間僕はその風景に釘付けになっていたのです。 容赦無く降り注ぐ雨。一瞬で曇ってしまった窓。これから家に帰らなければいけないことを考えると、今までの僕であれば少々心が折れそうになっていたかと思いますが、君が家で待っているというのは素晴らしいですね。ただそれだけでちっとも雨なんて気にならないことに気がつきました。 ビルのエントランスは雨宿りをする人々で溢れかえり、皆それぞれにひそひそと夢中で話し込んでいました。見つめる先は雨を、その声で話す内容も雨、という風に。おそらくは共通の話題を持つことで、突然の雨に濡れてしまった靴やズボンや靴下を履いているストレスを忘れようと努めているのでしょう。わかります。濡れた靴下を履いて歩くくらいなら、鼻の下にわさびでも塗られた方がましだよねえ? 君はどう思う? まあでも、頭痛がしているときに腹痛の方がましだ、と思ったり、腹痛がしているときに頭痛の方がましだ、と思ったりするのと同じで、実際にわさび何て塗られようものなら、涙や鼻水にぐしゃぐしゃにやられて後悔するのかな? これなら雨の方がましだ、と。何でわさびの話になったんだっけ。 そうそう。 同封した写真は見てくれましたか? 雨を写真で撮るのは、思いの外難しいことだと思いました。何処を向いても大粒の激しい雨が降り注いでいるのにもかかわらず、水溜まりやそこに跳ねる水がなければ、写真の中の風景は、ただ曇り空の広がる街の風景にしか見えないのです。むしろ、「さっきまで降ってたんだねえ」程度のもの。レンズ越しに広がる景色が、自分が今見ている景色と同じように写れば良いのだけど、それを実現するにはもう少し自分の撮影の技術を上げることと、手にしている携帯電話のカメラ機能を向上させなければ難しいのかもしれません。それでもね、こんな拙い腕ではあるけど、今度君のあの素敵な笑顔を撮ることが出来れば嬉しいです。 僕の小さな携帯電話の中に、クスクスと笑った君の笑顔を閉じ込める。その瞬間は永遠で、決して色褪せないデジタルの不思議。 変わらない写真、年老いていく二人。それらを同時に楽しめるなんて僕はとても幸せです。 それではまた、手紙を書きます。 敬具
雨、がテーマ
14『お月様の月への手紙』 拝啓 そのとき僕は仕事の仕上げに取り掛かったところでした。何気なくブラインド越しに窓の外を眺めてみると、不穏な色の雲が東陽の街を包み込み、ビルというビルの上からダークグレーの絵の具を満遍なく降り注いだように、街全体が灰色に染まっていました。そして、パラパラという音がしたかと思うと、その次の瞬間ザアァという音と共に物凄い雨が窓を打ち、気がつくととっくに就業時間は過ぎておりました。そう、しばらくの間僕はその風景に釘付けになっていたのです。 容赦無く降り注ぐ雨。一瞬で曇ってしまった窓。これから家に帰らなければいけないことを考えると、今までの僕であれば少々心が折れそうになっていたかと思いますが、君が家で待っているというのは素晴らしいですね。ただそれだけでちっとも雨なんて気にならないことに気がつきました。 ビルのエントランスは雨宿りをする人々で溢れかえり、皆それぞれにひそひそと夢中で話し込んでいました。見つめる先は雨を、その声で話す内容も雨、という風に。おそらくは共通の話題を持つことで、突然の雨に濡れてしまった靴やズボンや靴下を履いているストレスを忘れようと努めているのでしょう。わかります。濡れた靴下を履いて歩くくらいなら、鼻の下にわさびでも塗られた方がましだよねえ? 君はどう思う? まあでも、頭痛がしているときに腹痛の方がましだ、と思ったり、腹痛がしているときに頭痛の方がましだ、と思ったりするのと同じで、実際にわさび何て塗られようものなら、涙や鼻水にぐしゃぐしゃにやられて後悔するのかな? これなら雨の方がましだ、と。何でわさびの話になったんだっけ。 そうそう。 同封した写真は見てくれましたか? 雨を写真で撮るのは、思いの外難しいことだと思いました。何処を向いても大粒の激しい雨が降り注いでいるのにもかかわらず、水溜まりやそこに跳ねる水がなければ、写真の中の風景は、ただ曇り空の広がる街の風景にしか見えないのです。むしろ、「さっきまで降ってたんだねえ」程度のもの。レンズ越しに広がる景色が、自分が今見ている景色と同じように写れば良いのだけど、それを実現するにはもう少し自分の撮影の技術を上げることと、手にしている携帯電話のカメラ機能を向上させなければ難しいのかもしれません。それでもね、こんな拙い腕ではあるけど、今度君のあの素敵な笑顔を撮ることが出来れば嬉しいです。 僕の小さな携帯電話の中に、クスクスと笑った君の笑顔を閉じ込める。その瞬間は永遠で、決して色褪せないデジタルの不思議。 変わらない写真、年老いていく二人。それらを同時に楽しめるなんて僕はとても幸せです。 それではまた、手紙を書きます。 敬具