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rietta
庭を眺めながら、そういえばここに越して来てもうすぐに10年だなあ、ともの思いにふける。でも母屋は大正時代からあるというこの家にとって、わたしはまだまだ新参者。古い家だからなのか、不思議なもので掃除の手を抜くと家が悲しんでいる気がする。見捨てられるのを怖がっているような。だから、毎日しっかり掃除をする。すると、とたんに家が喜んでいる気がする。なのであまり家事が苦にならない。独りで居ても寂しくならない。時々、廊下を掃除しながら天井に向かい話しかける。今までここに居てくれてありがとう。私達を迎えいれてくれてありがとう、と。日本では木造の家の寿命は30年だ、などとよく聞く。土壁の残る、築年数不詳のこの家屋も数字の上では資産価値はない。でも、家と話していると、まだあと100年はここに居たいよ、家族を守るよ、と家が言っている気がしてならないし、私も出来る限りこの古い家を守りたいとしみじみ思う。もちろん、古いから不便なこともたくさんあるのだろうが、あまり気にならない。日によっては木が膨張して立て付けが悪い雨戸の開け閉めなどに手間どっても、なんだか生きている家のお世話をしてる気分になり母性が芽生える。ゴワゴワ、ゴツゴツ、ガタガタ、スースー、そんな擬音が似合う不器用な古い家。だけどその世話をすることで、自分も”生きてる”と体感する。そしてそのご褒美なのか、お世話をした後、一息つくときには言いようのない静けさと優しさに包まれる。これからしばらく、よろしくね。

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