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koshiregutyo
『この柄が好き!』私は本が好きです好みは偏ってるような偏ってないようなその【好き】は内容であったり、著者であったり、本の装丁であったりします束の間のひとり時間、ちょっと真面目な話をしようと思います《 pic① 》もう25年以上、いや、30年ものもあります好きとなったらずっと手元にある本たちお風呂に入っても読んでいたのでシミがあったり、ふやけていたり、カバーを外してあったりもします何回読み返しても何回でも楽しくて何回でも発見や気付きがあるそれは、読む時のコンディション、季節や時間帯、ライフステージ、こちら側(自分)の中からの変化としてこちら側が受けとめるものですそしてその時々に感じたことが全部、この本を手にすると溢れてきます昔の曲を聴いて懐かしい時思うのと同じで、この本を開く前、この装丁を目にした瞬間から溢れてくる装丁家って、すごいなぁ↓ ↓ ↓ここからは完璧に私の趣味の話。熱くなること必至 ←あ、私がです《 pic② 》私が好きな番組『100分で名著』ご存知の方、いらっしゃるかな先日の放送はまさに私の中では【神回】そのものでした《 pic③ 》断っておきますが、無宗教です先祖代々の墓守の順番がそろそろ回ってくるくらいなもんです先祖を敬う気持ちは確かにあるので盆正月彼岸、それ以外でも祖父母宅に遊びに行くような気持ちで墓参りにはよく行きます神社も好きなのでドライブがてら立ち寄りますここでは、そういう目線ではなく、、『言葉』『コトバ』これについての理解の仕方についてです福音書というのがミソなのです《 pic④ 》今回の指南役が批評家・随筆家でらっしゃるのがまた良き言語学者、哲学者、宗教家、それぞれの立場での目線や物言いはある中『言葉』『コトバ』としてどういう意味があってどう捉えるのかものすごく引き込まれます伊集院光がこれまた、絶品!←私が疑問に思うこと、聞いてほしいこと、あとは、私がそれこそ言葉として質問に至らないふわっとしたようなことを的確な『言葉』に形付けて掘り下げてくれるそして、全然及びもしないところまで分かりやすい置き換えで聞いてくれ、その答えを私にヒントとして示してくれるさすがですこの人以外、ありえない『行間』私たちは文字と文字の間に意味を感じる、ということがやはりあるんじゃないか画家にとっては色が『コトバ』音楽家にとっては旋律が『コトバ』落語家の皆さんにとっては間が『コトバ』私たちは、漢字の『言葉』以外の『コトバ』っていうものを感じてる挨拶ひとつとっても、あれは『言葉』であり、『コトバ』です口にして交わすのは言葉であるけれど、交わすのは気持ち『コトバ』初めての人への挨拶なら、様子見?笑笑って、こんなかんじの解釈していますああ〜もう、私がこうしてここに文字言葉として記しても全然伝わらない、情熱が!口惜しい!!!すべての本を読む上で何が楽しくてどこを考えて立ち止まるのかそう、これ、こういうこと!そんな【神回】であります『言葉』より『コトバ』によって生きる「『人はパンだけで生きるのではない。 神の口から出るすべての言葉によって 生きる』 と書き記されている。」もちろん、パンがなければ生きていけないこのことは絶対否定しないただ、我々はパンだけあれば満足する存在ではないここでは、信仰や、曲がった解釈のことではなく意味あるいは人とのつながりをコトバによって我々は経験しているそれが私たちの重要な糧どんな食べ物(どんなコトバ)に触れたのかそれが我々の人生を決定するのではないか突き刺さるーーー分かりやすかったのは、仕事で家を空ける親が、子どものためにごはんやおやつを置いておくそこに、一言、メモなりお手紙なり、『言葉』を添えておくそのことが、『コトバ』漢字の言葉ではなく、その一連のことから見えてくる親の子への気持ちや関わり、大事に思っていること、些細なことでも、それが、行間かと。ヤバい、もう泣きそうになるくらい楽しいわ私が『国語だけの東大』に行きたかったわけだわ ←今日はホンマに、ここ最近で一番の充実したひとり時間。勉強し直そうかな

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