右側がお気に入りの一輪挿し。
端正なフォルムと落ちついた色味に惹かれて購入したもの。
見るたびに陶芸作家さんの息づかいを感じます。
口は極限まで狭く作られ無駄な装飾は一切ありません。
まるで言葉少なく優しい人のような一輪挿し。
本当に一輪しか挿すことのできない究極の一輪挿しなのです。
水を入れる事もはばかられて(水を入れて使う物かどうかも解りかねて)
いつもドライフラワーを一輪、一枝挿しています。
それまで我が家には花瓶がありませんでした。
この一輪挿しがきっかけとなり、花を生けてみたくなって母からガラスの花瓶や備前焼の花瓶などを譲り受け、ささやかながら花を楽しむようになりました。
花を生ける時には学生時代に尊敬していた先生の言葉を思い出します。
「我々人間がいくら頑張って美しいものを創ろうとしたって、自然にはかなわないんですよ。美しくあろうとしなくても美しいんだから」
左側は骨董市で購入した器。(お猪口とうかがいました。)
この一輪挿しと並べるとお互いに引き立て合う気がします。
右側がお気に入りの一輪挿し。
端正なフォルムと落ちついた色味に惹かれて購入したもの。
見るたびに陶芸作家さんの息づかいを感じます。
口は極限まで狭く作られ無駄な装飾は一切ありません。
まるで言葉少なく優しい人のような一輪挿し。
本当に一輪しか挿すことのできない究極の一輪挿しなのです。
水を入れる事もはばかられて(水を入れて使う物かどうかも解りかねて)
いつもドライフラワーを一輪、一枝挿しています。
それまで我が家には花瓶がありませんでした。
この一輪挿しがきっかけとなり、花を生けてみたくなって母からガラスの花瓶や備前焼の花瓶などを譲り受け、ささやかながら花を楽しむようになりました。
花を生ける時には学生時代に尊敬していた先生の言葉を思い出します。
「我々人間がいくら頑張って美しいものを創ろうとしたって、自然にはかなわないんですよ。美しくあろうとしなくても美しいんだから」
左側は骨董市で購入した器。(お猪口とうかがいました。)
この一輪挿しと並べるとお互いに引き立て合う気がします。