11月1日。 RCを始めて三度目の「紅茶の日」を 迎えるに至りました☕✨ お茶を飲む習慣を嫁ぎ先の イギリス王室に持ち込んだ ポルトガルの王女、キャサリン オブ ブラガンザの肖像をあげてみました。 政略の為、13~14歳の頃には既に イギリスのチャールズ2世との縁組みが決まっていましたが チャールズ2世は政争に巻き込まれて大陸の王室を渡り歩く居候の身だったため、実際に結婚式を挙げたのは 1662年、チャールズがイギリスへ帰国してから。 キャサリンは23歳になっていました。 (当時としては晩婚) 彼女はポルトガル国の命運を一身に背負って膨大な持参金と持参品(インドやモロッコの領地まで)を何隻もの船に積み、英国王妃となるべく輿入れしました。 この婚礼でブラガンザ王家から得た領地や各地での自由貿易権をもとに イギリスは海外進出に弾みをつけていく事になります。 さて、当時は 茶を飲む習慣はまだ確立されていなくて、ごく限られた上流階級だけが 輸入された中国茶器や日本の茶碗で 高価で貴重な緑茶をたしなむ時代でした。 当然、ティーカップなどありませんから「ティーボウル」といわれる湯呑みと「ソーサー」がわりにされる菓子皿とをセットにして 茶を飲みました。 キャサリンの結婚生活は幸せとは遠いものでしたが、 中国や日本の茶箪笥や磁器を 宮廷サロンに飾り、 宝石や貴金属並みに高価な大量の茶やスパイス、砂糖、茶道具などで 茶をたしなむ事で 王妃として、又ポルトガル王女としての誇りを保ち、社交の中心となりました。 王政復古直後で宮廷の華やぎが 不十分だったのでキャサリンの 茶会は多くの貴婦人たちを 魅了していったのでした。 イギリスへ茶をもたらした最初の人!という敬意を込めて キャサリン オブ ブラガンザは 「ザ ファースト ティー ドリンキング クイーン」 The First tea drinking Queen と呼ばれています。
11月1日。 RCを始めて三度目の「紅茶の日」を 迎えるに至りました☕✨ お茶を飲む習慣を嫁ぎ先の イギリス王室に持ち込んだ ポルトガルの王女、キャサリン オブ ブラガンザの肖像をあげてみました。 政略の為、13~14歳の頃には既に イギリスのチャールズ2世との縁組みが決まっていましたが チャールズ2世は政争に巻き込まれて大陸の王室を渡り歩く居候の身だったため、実際に結婚式を挙げたのは 1662年、チャールズがイギリスへ帰国してから。 キャサリンは23歳になっていました。 (当時としては晩婚) 彼女はポルトガル国の命運を一身に背負って膨大な持参金と持参品(インドやモロッコの領地まで)を何隻もの船に積み、英国王妃となるべく輿入れしました。 この婚礼でブラガンザ王家から得た領地や各地での自由貿易権をもとに イギリスは海外進出に弾みをつけていく事になります。 さて、当時は 茶を飲む習慣はまだ確立されていなくて、ごく限られた上流階級だけが 輸入された中国茶器や日本の茶碗で 高価で貴重な緑茶をたしなむ時代でした。 当然、ティーカップなどありませんから「ティーボウル」といわれる湯呑みと「ソーサー」がわりにされる菓子皿とをセットにして 茶を飲みました。 キャサリンの結婚生活は幸せとは遠いものでしたが、 中国や日本の茶箪笥や磁器を 宮廷サロンに飾り、 宝石や貴金属並みに高価な大量の茶やスパイス、砂糖、茶道具などで 茶をたしなむ事で 王妃として、又ポルトガル王女としての誇りを保ち、社交の中心となりました。 王政復古直後で宮廷の華やぎが 不十分だったのでキャサリンの 茶会は多くの貴婦人たちを 魅了していったのでした。 イギリスへ茶をもたらした最初の人!という敬意を込めて キャサリン オブ ブラガンザは 「ザ ファースト ティー ドリンキング クイーン」 The First tea drinking Queen と呼ばれています。
@bonobono54 さんこんにちは! 私は歴史好きなので各王室の家系図が大好物で今はそれ見ながらウキペディアで人物を次々辿るのが暇な時間の潰し方ですw チャールズ2世との間に子供が出来なかったので深く突っ込んで調べなかった人物ですがなるほどこの方が紅茶文化に多大な貢献してるんですねぇ👏👏👏 教えてもらって興味が出ましたぁ! チャールズ2世の方は庶子から血はスペンサー家を通じてダイアナ妃からウィリアム王子に流れてる。。。面白いですよね(^^)
@bonobono54 さん♡ 歴史に見入っちゃいました😚 イギリスにこんな歴史があったんですね〜✨ さすが紅茶マスター(人´∀`*) なんだか気高くカップとソーサーで紅茶を飲みたくなりました笑😆
@bonobono54 さん♡ 歴史に見入っちゃいました! 元々イギリスは紅茶の文化じゃなかったのにはびっくりです。 今じゃみんな食べてるフランスのクロワッサンみたいなものですね。
@Yukineko さん🐈 大航海時代からイギリスの七つの海の制覇までの歴史は 結局、お茶、スパイス、砂糖、 金銀、とからめて読み解く事が 出来るんですが、それを知ったのは 紅茶教室に通いだしてから。 何にも無かった西洋の地に 磁器や茶をプレゼントしたんですものね。 日本てヨーロッパにもっと 「上から目線」で良いのでは?と 思わされます(笑) コメント、有り難う🙋
@MIKI さん🎵 植民地を手に入れることで 自国を栄えさせた西洋諸国のうち、 イギリスはお茶と王室を残しました。 緯度からしたら日本の北海道くらいの位置で冷涼地域のイギリスには 温帯の産物が憧れだったんですって。 中国や日本からの輸入品を 上流階級が競って手に入れようと 戦争を繰り返した⁉️なんて 歴史の面白い一面を思わされますよね。 コメント、有り難うございました🎵
@mizucchi さん🎵 いつも有り難うございます🙇 茶への憧れが幾つもの戦争を 引き起こし、内政を混乱させて しまった側面が奥深いですね。 茶や陶磁器についてはもっと 日本はヨーロッパ人に 「上から目線」で良いのでは?と 思わされますよね。(笑)😉
勝手に東インド会社を通じてだと思っていました。ポルトガルの王女👸🏻からなんですねー知らなかった!
@pompom さん✨ 連日、お付き合い有り難う🎵ございます。 えーっと、実に良い質問なのですが、あれやこれやと書きたくなる 項目ばかりで このコメント欄に収まりそうにないので、なるべく簡略化して……😅 1600年設立のイギリス東インド会社 は当初、繊維製品やスパイスの貿易を主にしていました。 (併せて次第に植民地支配の為の行政機関的役割をも持つように) 会社の取引記録では1669年にようやく「茶」が現れているので、 キャサリンの輿入れの7年後という ことになろうかと。 しかも本格的な買い付けはその後、 オランダに遅れる事50年近くあとでした。 しかしながら、イギリス人は 緑茶、紅茶に執着し、求めるので 輸入も増やさなければならず、 交易スタイルも イギリス東インド会社の独占的な 扱いになっていきました。 政府の出先機関、あるいは統治や行政分野の色合いも濃くなっていく中、諸々の条件下のもと、1876年に組織は解散します。(これも書ききれないほどのボリュームです😭) なお、 およそ100年後の1978年に ブランド名を引き継いだインド人が 現在の「東インド会社」ブランドを許可を得て再発足させています。 (紋章やトレードマークも引き継ぐ) よく分からない説明で ごめんなさい🙇。いつも難しいなあ😵と思う瞬間なの。(苦笑) どうもありがとうございました☺️ で、お輿入れに東洋の珍しい物が 持参金、持参品の一部になったんですね。
@pompom さん✨ 前コメントのラスト3行は 消し忘れです! 無視してください🙏。
@bonobono54 さん ひー。 お詳しいですね〜 元々わたしも興味があり、イギリス文学や歴史を大学で学びましたが、すぐに忘れる&私の興味のある時代はもう少し先、てなわけで、なかなか😅 イギリスの歴史をおさらいしたくなりましたよ🤗
@pompom さん🐈 歴史専攻のかたに 継ぎはぎの知識を披露して 「釈迦に説法」でしたね😵 私は歴史が苦手で苦労しました😢 だから受験も「地理」……(笑) 子育て終わりに、 趣味で始めた紅茶の稽古の課題で まさか茶の歴史年表を作らされるとは思ってもいませんでしたよ。 ケケケケ。 歳をとってから得る知識は 定着しないというのはまさに真実で私こそ直ぐ忘れる‼んです😭 なので 無論、間違いなきように 自分でまとめたその資料年表を 見ながらですわ💦 お恥ずかしい限りですけど。 でも、今回の件に限らず ちょっとしたきっかけで お休みしていた興味の分野を 再度深められるなら凄く素敵な事ですね。 是非、おさらいしてみて下さい‼️ ありがとうございました🙇
@bonobono54 さん いやいや、歴史専攻じゃないですよー💦アメリカ文学とイギリス文学を学ぶにあたって、文学史、歴史を、ざーっと学んだだけです。 個人的には、ビクトリア時代の文学や文化に興味がありました🥰私も初めは紅茶や映画からイギリスに興味を持ちはじめました。でも、最近はすっかりそういう世界から遠ざかってしまったので、いい刺激になります✨✨また色々教えてくださいね❣️ こちらこそいつもありがとうございます。ぺこり。