1976年に発表されたセルジュ・ゲンスブールの傑作コンセプト・アルバムの一つ「L’homme a tête de chou(キャベツ頭の男※邦題;くたばれキャベツ野郎)」 。
近年新たに発見されたマルチトラックテープを元にした2023RemixLPが、6月末、没後32年の時を経てフランスで発売されるということで。
勿論光の速さで予約していたのが、漸くこの程、遥々フランスから届きました✨🥺
デラックスエディションと、ピクチャーVinyl(…買うよね✨🥺)の2枚(ピアノ上、左右。…いや、譜面置けよって話なんですが、別に要らんのでw)
Vinylだけでなく、勿論CDでも出ていて。
結構迷ったんですが…
今回は敢えて、買わずにおきました。
まるで自分が生まれるずっと以前、1976年にタイムスリップして手に取った様な気分を味わいたかったので。
「セルジュ・ゲンスブールの生きる霊廟」と呼ばれ、セルジュ亡き後、生涯彼の作品を精力的に世界中に伝え続け…
先月、とうとうセルジュの元へと旅立ったジェーン。
二人が共に暮らした頃に発表した当時、あまりにも芸術的且つ前衛的過ぎたが故に世間から正当な評価を得られず、セルジュが苦悩したこのマスターピースの世界的成功を、きっと笑顔で見届けて逝った事でしょう。
何よりの土産話になったよね。
彼女を「セルジュの歌しか歌えないお人形」などとほざく、浅はかな奴もいた。
彼女のとある日本盤CDアルバムのライナーノーツには、何故ゆえに敢えてこんな狭量で浅薄で物事の機微を解せないクソアマに書かせちゃったの?批評家気取りの凡人が、公衆便所の落書き以下の下卑た駄文を無駄に長々と書き連ねやがって、折角の高尚な芸術が台無しじゃないか…、とさえ思ってしまう、余りにも残念過ぎる物すらあった。
敢えて、どれ、とは言わないが。
最初の夫ジョン・バリー(因みにコイツはかの007シリーズの作曲家として世界的に有名でこそあるものの、過去の妻子達の生活を生涯責任を持って支えたセルジュとは対照的に、いい歳したオッサンの分際で未成年のしかもまだ処女だったジェーンに手を出して孕ませた挙句、初産後間も無い幼妻がありながらクソアマと浮気して幼気な妻子を棄てたという…英国紳士の風上にも置けない、最低のクソ野郎w)との間に成した娘ケイト・バリーを、我が子同様に慈しみ育てたセルジュの墓近くに埋葬した、少なくとも其の時からきっと、ジェーンは自身もセルジュの傍に骨を埋める事を決めていたに違いない(実際そうなった)。
でなければ、娘の墓地を其処には選ばなかっただろう。
だから、ちゃんと分かってる。
嘗てうら若き失意のジェーンは、か弱い女の身で幼いケイトをその細腕に抱き、言葉も分からぬフランスへと渡り、程なく生涯の恋人となる運命の男・セルジュに巡り逢った時と同じ様に、今やっと、還るべき場所に…愛する男の腕の中に戻り、幸せだ、と。
分かっていても、やっぱり哀しい。
正直、ジェーンの死から未だ何処か立ち直れていない自分がいる。
もっともっと…生きて欲しかったよ、ジェーン。
勿論セルジュにだってさ。
もっと生きていて欲しかった。
彼のライブ音源を聴く度に思う。
願わくば此の熱を、一度でいい、生で感じてみたかった、と。
けれども哀しい哉…天才というものは得てして、天才であるが故に、自ら命を縮めてしまう宿命にあるのだろう。
彼は咎無くしてその宿命の中にあって、宿命が故の苦悩の末に精神を蝕まれた結果、生涯愛し抜いたただ一人の女性・ジェーンをも失い…
それでも、懸命に生きた。
彼なりに。
彼等の魂は今、其の美しい魂が在るに相応しい、永遠に安らかな、美しい場所にいる。
だから哀しくても、寂しくても…
結局やっぱり、幸せなんだ。
そう思うんだよ。
心から。
'…Au revoir!'
-Fuir le bonheur qu'il ne se sauve/Jane Birkn(Author,Composer:Serge Gainsbourg,1983)
https://youtu.be/jL4lXlUXfMA
1976年に発表されたセルジュ・ゲンスブールの傑作コンセプト・アルバムの一つ「L’homme a tête de chou(キャベツ頭の男※邦題;くたばれキャベツ野郎)」 。
近年新たに発見されたマルチトラックテープを元にした2023RemixLPが、6月末、没後32年の時を経てフランスで発売されるということで。
勿論光の速さで予約していたのが、漸くこの程、遥々フランスから届きました✨🥺
デラックスエディションと、ピクチャーVinyl(…買うよね✨🥺)の2枚(ピアノ上、左右。…いや、譜面置けよって話なんですが、別に要らんのでw)
Vinylだけでなく、勿論CDでも出ていて。
結構迷ったんですが…
今回は敢えて、買わずにおきました。
まるで自分が生まれるずっと以前、1976年にタイムスリップして手に取った様な気分を味わいたかったので。
「セルジュ・ゲンスブールの生きる霊廟」と呼ばれ、セルジュ亡き後、生涯彼の作品を精力的に世界中に伝え続け…
先月、とうとうセルジュの元へと旅立ったジェーン。
二人が共に暮らした頃に発表した当時、あまりにも芸術的且つ前衛的過ぎたが故に世間から正当な評価を得られず、セルジュが苦悩したこのマスターピースの世界的成功を、きっと笑顔で見届けて逝った事でしょう。
何よりの土産話になったよね。
彼女を「セルジュの歌しか歌えないお人形」などとほざく、浅はかな奴もいた。
彼女のとある日本盤CDアルバムのライナーノーツには、何故ゆえに敢えてこんな狭量で浅薄で物事の機微を解せないクソアマに書かせちゃったの?批評家気取りの凡人が、公衆便所の落書き以下の下卑た駄文を無駄に長々と書き連ねやがって、折角の高尚な芸術が台無しじゃないか…、とさえ思ってしまう、余りにも残念過ぎる物すらあった。
敢えて、どれ、とは言わないが。
最初の夫ジョン・バリー(因みにコイツはかの007シリーズの作曲家として世界的に有名でこそあるものの、過去の妻子達の生活を生涯責任を持って支えたセルジュとは対照的に、いい歳したオッサンの分際で未成年のしかもまだ処女だったジェーンに手を出して孕ませた挙句、初産後間も無い幼妻がありながらクソアマと浮気して幼気な妻子を棄てたという…英国紳士の風上にも置けない、最低のクソ野郎w)との間に成した娘ケイト・バリーを、我が子同様に慈しみ育てたセルジュの墓近くに埋葬した、少なくとも其の時からきっと、ジェーンは自身もセルジュの傍に骨を埋める事を決めていたに違いない(実際そうなった)。
でなければ、娘の墓地を其処には選ばなかっただろう。
だから、ちゃんと分かってる。
嘗てうら若き失意のジェーンは、か弱い女の身で幼いケイトをその細腕に抱き、言葉も分からぬフランスへと渡り、程なく生涯の恋人となる運命の男・セルジュに巡り逢った時と同じ様に、今やっと、還るべき場所に…愛する男の腕の中に戻り、幸せだ、と。
分かっていても、やっぱり哀しい。
正直、ジェーンの死から未だ何処か立ち直れていない自分がいる。
もっともっと…生きて欲しかったよ、ジェーン。
勿論セルジュにだってさ。
もっと生きていて欲しかった。
彼のライブ音源を聴く度に思う。
願わくば此の熱を、一度でいい、生で感じてみたかった、と。
けれども哀しい哉…天才というものは得てして、天才であるが故に、自ら命を縮めてしまう宿命にあるのだろう。
彼は咎無くしてその宿命の中にあって、宿命が故の苦悩の末に精神を蝕まれた結果、生涯愛し抜いたただ一人の女性・ジェーンをも失い…
それでも、懸命に生きた。
彼なりに。
彼等の魂は今、其の美しい魂が在るに相応しい、永遠に安らかな、美しい場所にいる。
だから哀しくても、寂しくても…
結局やっぱり、幸せなんだ。
そう思うんだよ。
心から。
'…Au revoir!'
-Fuir le bonheur qu'il ne se sauve/Jane Birkn(Author,Composer:Serge Gainsbourg,1983)
https://youtu.be/jL4lXlUXfMA