「婆ちゃーん来たでー」「おおナオくんか。お腹減っちょらんかね?ウインナー食べるか?」「いらんよ。ちょっとテレビ見てええかねー?」「ほうか。じゃあ紅茶入れてあげようかね、おはぎこさえたけんそれでも食べや」「うん、ありがとー」「あ、ちょっと待て、小遣いやるけんど、爺さんには内緒で」「えー!ええん?!ありがとう!」__幼少の頃の僕は世間一般の誰もが(というと語弊があるかもしれないが)そうであるように、お婆ちゃん子だった。お婆ちゃんがとても好きで、とても慕っていて、家がすぐ裏手なのもあり、毎日のように通っては、取り留めの無い話をしていた。お婆ちゃんはとても優しくそれでいて(あの時代の人が誰でもそうあるかのように)逞しく、お爺ちゃんが働かないという環境だったのだが、それでも文句ひとつ言うことなく僕の父やその兄弟を育て上げ、そして共働きだった僕の両親に代わりよく面倒を見てくれた。運動会にも来てくれた。僕は尊敬すらしていたように思う。お婆ちゃんの作るおはぎは世界一だと本気で思っていた。「婆ちゃん、長生きせんといけんで」と良く言っていたものだ。…そして…そんなお婆ちゃんが亡くなった。危篤の知らせを受けたのは午後昼過ぎ、また追って連絡する、と言われ、何も手につかないまま何とか仕事を終わらせ帰宅したときに、訃報の知らせを受けたのだ。ここ数年は痴呆がすすんでおり、僕の名前や顔すら分からない状態だったが、それでも元気でいてくれていたので安心していた。しかし、上があれば下があり、右があれば左があるように、生きることもあれば死ぬこともある。もちろん寂しく辛い。だが、押し寄せる波が、ただ引いていっただけなのだ。…そこに意味はない。いつかは僕にも訪れる。早いか遅いか、ただそれだけ。僕は僕の生活をこれからも続けて行かなければならない。まだ実感がわかないだけな気もするが…。「長生きせんといけんで」と言い、「また来るけん」と僕は帰っていく。どこかで「頑張らんといけんで」と聞こえた気がした。
「婆ちゃーん来たでー」「おおナオくんか。お腹減っちょらんかね?ウインナー食べるか?」「いらんよ。ちょっとテレビ見てええかねー?」「ほうか。じゃあ紅茶入れてあげようかね、おはぎこさえたけんそれでも食べや」「うん、ありがとー」「あ、ちょっと待て、小遣いやるけんど、爺さんには内緒で」「えー!ええん?!ありがとう!」__幼少の頃の僕は世間一般の誰もが(というと語弊があるかもしれないが)そうであるように、お婆ちゃん子だった。お婆ちゃんがとても好きで、とても慕っていて、家がすぐ裏手なのもあり、毎日のように通っては、取り留めの無い話をしていた。お婆ちゃんはとても優しくそれでいて(あの時代の人が誰でもそうあるかのように)逞しく、お爺ちゃんが働かないという環境だったのだが、それでも文句ひとつ言うことなく僕の父やその兄弟を育て上げ、そして共働きだった僕の両親に代わりよく面倒を見てくれた。運動会にも来てくれた。僕は尊敬すらしていたように思う。お婆ちゃんの作るおはぎは世界一だと本気で思っていた。「婆ちゃん、長生きせんといけんで」と良く言っていたものだ。…そして…そんなお婆ちゃんが亡くなった。危篤の知らせを受けたのは午後昼過ぎ、また追って連絡する、と言われ、何も手につかないまま何とか仕事を終わらせ帰宅したときに、訃報の知らせを受けたのだ。ここ数年は痴呆がすすんでおり、僕の名前や顔すら分からない状態だったが、それでも元気でいてくれていたので安心していた。しかし、上があれば下があり、右があれば左があるように、生きることもあれば死ぬこともある。もちろん寂しく辛い。だが、押し寄せる波が、ただ引いていっただけなのだ。…そこに意味はない。いつかは僕にも訪れる。早いか遅いか、ただそれだけ。僕は僕の生活をこれからも続けて行かなければならない。まだ実感がわかないだけな気もするが…。「長生きせんといけんで」と言い、「また来るけん」と僕は帰っていく。どこかで「頑張らんといけんで」と聞こえた気がした。