日曜の穏やかな朝にぶっ込んできたな
ふははは
少々お付き合いいただけたら幸いです
↓ ↓ ↓
その昔、実家で一緒に暮らしていた
ワンコの女の子、名前はチェリー
メルヘンな名前はうちに来る前からのもの
チェリーは父の同僚の方のおうちの子
ところがその方に事情ができ、
しばらくうちで預かることになりまして。
そのうちその方が退職し引っ越すことになり
家族会議(時間は秒)の結果
うちの子となったのでした。
とはいえ、
私はその頃すでに進学で家を出ており
会えるのは帰省時のほんのわずかな時間。
初めて会った時は、
どえらい子が来たなと思いました。
みんなにチヤホヤされてすっかりお姫さま。
確実に私を同等に見てましたね。
でもどっちもお姫さま←
その後はめちゃ気が合い良い女友達でした。
そんなこの子の命日が、私は分かりません。
正確に言うと、覚えていません。
その時、私は福岡で家庭を持っていて
病状を聞いてはいたけれど
簡単に帰省できる距離ではありませんでした
訃報を聞いて
兄弟を寝かしつけて
一番遠い部屋に入って音楽つけて
泣きました。
その時に偶然か、選んだのか、
流したのは
エレカシの悲しみの果て
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*
悲しみの果てに
何があるかなんて
俺は知らない
見たこともない
ただ あなたの顔が
浮かんで消えるだろう
涙のあとには
笑いがあるはずさ
誰かが言ってた
本当なんだろう
いつもの俺を
笑っちまうんだろう
部屋を飾ろう
コーヒーを飲もう
花を飾ってくれよ
いつもの部屋に
悲しみの果てに
何があるかなんて…
悲しみの果ては
素晴らしい日々を
送っていこうぜ
悲しみの果ては
素晴らしい日々を
送っていこうぜ
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*
悲しくなってもその時は
コーヒーが飲めんかった
まだ次男が小さかったから
今はガンガン飲みますよー
花は今もどこにも飾れんまんま
受け入れられないのかも、時間かかる
もうすぐ10年くらい経つのにね
聞けば父も母も
命日は忘れてしまったと言います
毎日毎日、骨壷に手を合わせては
いろんな話をする父
「女の子やけんなぁ」
選んだ骨壷カバーは赤い可愛いやつ。
朝起きたらまず、神棚を拝んでその足で
チェリーのお水を替えて
「ほら〜チェリー、水替えたど〜」
お菓子をもらってきたら食べる前に供えて
「ほらチェリー、もろたど〜」
私らが帰省したら
「チェリー、姉ちゃん帰ってきてくれたど」
母はいつも通り過ごして、いや、
いつも通りなんやけど、なんていうか
手仕事増えてない?!
家中に観葉植物これでもかって
ドライブ先で毎回多肉を連れ帰ってくるし
外ではメダカ飼育これ業者ですかってくらい
加えて縫い物したり折り紙細工したり
忙しなく動く働く動く、を続けています
チェリーは父母の頭から
特別に偲ぶ日を消し去ったのかもしれません
毎日気付かんまんまずっとそばにおるので。
それとは違い、私は薄情なのかもしれません
その頃の記憶がまるまるないので。
こないだ90年代ソングを歌って踊った時
久々エレカシ聴きました
歌えるようになったなぁ
そしたらチェリーを見たくなって
アルバムゴソゴソあさってみて。
今、手元にあるのはこれだけでした。
そういやチェリーの遺影は私が作って
父に渡したなぁ。
そんなことも忘れていた
アップのチェリーは母が撮ったもの。
なんやかやと送ってくれる荷物の中に
チェリーの写真を入れてくれとったっけ
携帯で送ればすぐやのにね。ふふ
「姉ちゃんとチェリーはホンマ似とる」
そう言って写真を撮ってくれていた父。
父、
父、
父、、
もっとさあ、なんかこう、
タイミングあったやろ!
チェリーは眠いで目開いとらんし←自由
私はあんたと飲んでる最中かしらん
顔浮腫んどるしやな!
なんかいろいろ定まってないねん!
整理中、横から相方
「ふはははは!らしくてえ〜やん」
ぐうっ‥
その横から兄弟
「かあか、可愛い、可愛い」
これが本気と思うなよ←やめとけ
とりあえず、コーヒー飲みます
日曜の穏やかな朝にぶっ込んできたな
ふははは
少々お付き合いいただけたら幸いです
↓ ↓ ↓
その昔、実家で一緒に暮らしていた
ワンコの女の子、名前はチェリー
メルヘンな名前はうちに来る前からのもの
チェリーは父の同僚の方のおうちの子
ところがその方に事情ができ、
しばらくうちで預かることになりまして。
そのうちその方が退職し引っ越すことになり
家族会議(時間は秒)の結果
うちの子となったのでした。
とはいえ、
私はその頃すでに進学で家を出ており
会えるのは帰省時のほんのわずかな時間。
初めて会った時は、
どえらい子が来たなと思いました。
みんなにチヤホヤされてすっかりお姫さま。
確実に私を同等に見てましたね。
でもどっちもお姫さま←
その後はめちゃ気が合い良い女友達でした。
そんなこの子の命日が、私は分かりません。
正確に言うと、覚えていません。
その時、私は福岡で家庭を持っていて
病状を聞いてはいたけれど
簡単に帰省できる距離ではありませんでした
訃報を聞いて
兄弟を寝かしつけて
一番遠い部屋に入って音楽つけて
泣きました。
その時に偶然か、選んだのか、
流したのは
エレカシの悲しみの果て
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*
悲しみの果てに
何があるかなんて
俺は知らない
見たこともない
ただ あなたの顔が
浮かんで消えるだろう
涙のあとには
笑いがあるはずさ
誰かが言ってた
本当なんだろう
いつもの俺を
笑っちまうんだろう
部屋を飾ろう
コーヒーを飲もう
花を飾ってくれよ
いつもの部屋に
悲しみの果てに
何があるかなんて…
悲しみの果ては
素晴らしい日々を
送っていこうぜ
悲しみの果ては
素晴らしい日々を
送っていこうぜ
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*
悲しくなってもその時は
コーヒーが飲めんかった
まだ次男が小さかったから
今はガンガン飲みますよー
花は今もどこにも飾れんまんま
受け入れられないのかも、時間かかる
もうすぐ10年くらい経つのにね
聞けば父も母も
命日は忘れてしまったと言います
毎日毎日、骨壷に手を合わせては
いろんな話をする父
「女の子やけんなぁ」
選んだ骨壷カバーは赤い可愛いやつ。
朝起きたらまず、神棚を拝んでその足で
チェリーのお水を替えて
「ほら〜チェリー、水替えたど〜」
お菓子をもらってきたら食べる前に供えて
「ほらチェリー、もろたど〜」
私らが帰省したら
「チェリー、姉ちゃん帰ってきてくれたど」
母はいつも通り過ごして、いや、
いつも通りなんやけど、なんていうか
手仕事増えてない?!
家中に観葉植物これでもかって
ドライブ先で毎回多肉を連れ帰ってくるし
外ではメダカ飼育これ業者ですかってくらい
加えて縫い物したり折り紙細工したり
忙しなく動く働く動く、を続けています
チェリーは父母の頭から
特別に偲ぶ日を消し去ったのかもしれません
毎日気付かんまんまずっとそばにおるので。
それとは違い、私は薄情なのかもしれません
その頃の記憶がまるまるないので。
こないだ90年代ソングを歌って踊った時
久々エレカシ聴きました
歌えるようになったなぁ
そしたらチェリーを見たくなって
アルバムゴソゴソあさってみて。
今、手元にあるのはこれだけでした。
そういやチェリーの遺影は私が作って
父に渡したなぁ。
そんなことも忘れていた
アップのチェリーは母が撮ったもの。
なんやかやと送ってくれる荷物の中に
チェリーの写真を入れてくれとったっけ
携帯で送ればすぐやのにね。ふふ
「姉ちゃんとチェリーはホンマ似とる」
そう言って写真を撮ってくれていた父。
父、
父、
父、、
もっとさあ、なんかこう、
タイミングあったやろ!
チェリーは眠いで目開いとらんし←自由
私はあんたと飲んでる最中かしらん
顔浮腫んどるしやな!
なんかいろいろ定まってないねん!
整理中、横から相方
「ふはははは!らしくてえ〜やん」
ぐうっ‥
その横から兄弟
「かあか、可愛い、可愛い」
これが本気と思うなよ←やめとけ
とりあえず、コーヒー飲みます