義母の影響で、5歳から12歳まで、娘は日本舞踊を習っていました。
子供の習い事なので、高価なものではありませんが、桐の箪笥の中には演目に合わせた着物や小物が入っています。
初めての一人舞はうれしい雛祭りでした。今でも鮮明に覚えています。
お師匠の先生とは今では年賀状だけのお付き合いになりましたが、あの頃、踊りだけでなく、人としてのさまざまな常識を厳しく指導されたことで、根性や前向きな気持ち、下の子を思いやる気持ちが培われたと感謝しています。
もう合わなくなった着物や、使わない小物を、どうしたものかと思いながら娘の努力に付き合ってくれた物達を、断捨離できずに納戸に収納したままになっています。
義母の影響で、5歳から12歳まで、娘は日本舞踊を習っていました。
子供の習い事なので、高価なものではありませんが、桐の箪笥の中には演目に合わせた着物や小物が入っています。
初めての一人舞はうれしい雛祭りでした。今でも鮮明に覚えています。
お師匠の先生とは今では年賀状だけのお付き合いになりましたが、あの頃、踊りだけでなく、人としてのさまざまな常識を厳しく指導されたことで、根性や前向きな気持ち、下の子を思いやる気持ちが培われたと感謝しています。
もう合わなくなった着物や、使わない小物を、どうしたものかと思いながら娘の努力に付き合ってくれた物達を、断捨離できずに納戸に収納したままになっています。