Wittgenstein
ここ1週間、悶々と考え事をしていて、結論など早急に出せる訳でもないのに、又考える...の繰り返し。
そういう時は決まって、先人達の哲学に触れてみる。カントやスウェーデン・ボルグや、ヒューゲルや、ニーチェやヴィトゲンシュタイン。
ヴィトゲンシュタインの前期著『論理哲学論考』は、心が晴れていてエネルギーが満ち溢れている時に読んだからか、その時はキリリと背筋を伸ばしたくなったが、心が弱っている時だと苦しく感じた。これは中国の孔子と老子を読む時の心境に似ているかも。ヴィトゲンシュタインは分析哲学とも呼ばれているらしいが、事実が全てである というところをキチンと私は理解出来ているのかな?
いつ読んでも面白いのはスウェーデン・ボルグで、カントなどは、あいつの妄想にはお手上げだな! などとため息を漏らしたかもしれない?(笑) 真面目に死後の世界を語っていた丹波哲郎 氏をふと思い出す。
まぁ、そんなこんなで、時々貪るように哲学書を読む時が有って、あたかもさも理解しているように一瞬思っても、別のアスペクトから考えて読むと、また別の考えに囚われてしまい、多角的に捉えても、○○=□□ だ。などとそう簡単に分かれば、人間はもっと生きやすくなるだろうと思うのに。考えても考えても理解出来ない事には、言葉を発せずただ対象を聞き入れる。ただ聞くだけ。変に突っ込むと、世界がおかしく歪む。ヴィトゲンシュタインさん、理解出来ても突っ込まないってのも有りかも(笑)
今はヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』よりも『哲学探求』のページを捲るのが少し楽しい。
Wittgenstein
ここ1週間、悶々と考え事をしていて、結論など早急に出せる訳でもないのに、又考える...の繰り返し。
そういう時は決まって、先人達の哲学に触れてみる。カントやスウェーデン・ボルグや、ヒューゲルや、ニーチェやヴィトゲンシュタイン。
ヴィトゲンシュタインの前期著『論理哲学論考』は、心が晴れていてエネルギーが満ち溢れている時に読んだからか、その時はキリリと背筋を伸ばしたくなったが、心が弱っている時だと苦しく感じた。これは中国の孔子と老子を読む時の心境に似ているかも。ヴィトゲンシュタインは分析哲学とも呼ばれているらしいが、事実が全てである というところをキチンと私は理解出来ているのかな?
いつ読んでも面白いのはスウェーデン・ボルグで、カントなどは、あいつの妄想にはお手上げだな! などとため息を漏らしたかもしれない?(笑) 真面目に死後の世界を語っていた丹波哲郎 氏をふと思い出す。
まぁ、そんなこんなで、時々貪るように哲学書を読む時が有って、あたかもさも理解しているように一瞬思っても、別のアスペクトから考えて読むと、また別の考えに囚われてしまい、多角的に捉えても、○○=□□ だ。などとそう簡単に分かれば、人間はもっと生きやすくなるだろうと思うのに。考えても考えても理解出来ない事には、言葉を発せずただ対象を聞き入れる。ただ聞くだけ。変に突っ込むと、世界がおかしく歪む。ヴィトゲンシュタインさん、理解出来ても突っ込まないってのも有りかも(笑)
今はヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』よりも『哲学探求』のページを捲るのが少し楽しい。