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DIYの原点は「ミニ四駆」
モノを作り始めたのっていつごろだったんですか?
小学生のころですねー。元々絵とか裁縫が好きだったんです。最初に工具を使いだしたのは、ミニ四駆だったと思います。
確かに僕たちはミニ四駆世代ですよね。ただ女の子は少なかったような(笑)男の中に混じってやってたんですか?
そうですね(笑)。女の子は私しかいなかったですね。近所に家具屋さんの息子さんがいて、倉庫スペースに大きなサーキットを作ってたんですよ。そこでやってました
本格的で楽しそうですね。
ミニ四駆の後はプラモデルもはまってましたね。ガンプラ。中学生から高校生くらいのころかな。フォルムがすごく好きだったんですよ。ズコックとか。それで細かいパーツを熱で溶かしたりして好みの形に変えたり。色もこだわって塗ったりしてました。ヒョウ柄のザクとかね(笑)
ヒョウ柄!部屋に飾ってたんですか?
そうですね。でもやっぱり場所が限られるので5、6体くらいですね。後はしまってた。もう処分しちゃったんですよね
それは残念です。学校では部活は何をやってたんですか?
一応美術部だったんですけど、名ばかりでしたね。ほぼ漫画研究部みたいな感じでした
漫画も描くんですか?
漫画もちょっと書いてましたけど、書くのはどちらかというと小説でしたね
引き出しが豊富すぎます
祖母の和裁、母の洋裁、父の美容
元々父は美容師をやっていたんです。それで私は跡を継ごうと思ってたので、美容の勉強もして、友だちのヘアメイクとか化粧とかもしてあげたりしてたんですよ。手を動かすのが好きだったのは、育った環境が大きかったと思います。父は美容師で機械類好き。おばあちゃんは和裁をやってて、母親は洋裁をやっていました。何か作りたいと思えば道具が何でも揃っている状況でした。
写真も上手ですよね?
カメラは高校1年くらいの時、父親にオリンパスのをもらいました
一眼レフってなかなか手に入らないですよね。
そうそう。当時は『写ルンです』全盛期ですね。今となってはカメラ女子みたいなの増えてますが、当時はカメラは完全に男性の趣味でしたし。そんななかで一眼で色々と撮って回っていました。私はなかなか一つのことを煮詰めてやり込むタイプじゃないんです。だから今でも色々と手を出すし、器用貧乏みたいな(笑)
僕たちが学生だった時期ってコギャルの全盛期じゃないですか。dezさんも渋谷とか言ってたんじゃないんですか?
いやー、私渋谷は嫌いだったんですよ。だから新宿ばっかり。よく出入りしていたバーみたいなお店があって、そこのお姉さんにかわいがられていたので、結構入り浸っていました(笑)
ピンク一色からアジアンテイストへ
学生のときは自分の部屋はどんな感じだったんですか?
4畳半くらいのせまーい部屋だったんですが、そのころが一番派手にしてましたね。和室だったんですが、ピンク色のシートを壁にはって、さらにその上にクラブとかライブハウスのフライヤーをべたべた貼ってました。ピンクというか、ポップな感じが好きだったんですよ。で、フライヤーの色って黒とか濃い色が多かったこともあったので、それを映えさせるのにピンクを使ったんです。ショッキングピンク(笑)
今からだと想像つかないですね。でも学生って何故かフライヤー集めて貼りますよね。僕も集めていました。ちなみに当時からインテリアは好きだったんですか?
実家にいたときは部屋が狭すぎて、インテリアが好きでもやれなかったんです。高校卒業と同時に女友達とルームシェアを始めて、そのころからフェイクグリーンとかを買って飾ったりし始めました。本格的に部屋に凝るようになったのは20歳くらいで一人暮らしを始めたころですね。そのころはアジアン系でしたよ。間接照明を多用して、アジアンバーみたいな感じでした。